Taoつれづれ

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zoom RSS きのう、そして今日

<<   作成日時 : 2014/03/11 23:34   >>

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乾ききった北風が吹き荒れた昨日は、69回目の東京大空襲を祈念する一日でした。
1945年。3月10日へと日付が変わったばかりの東京下町には、昨日と同じように発達した低気圧による強い北風が吹き荒れていて、わずか2時間半の間に30万発の焼夷弾によって一帯は焼き尽くされ、10万人の方々が犠牲になられたそうです。
下町には軍需工場の小さな下請会社が密集していたので、それを一掃する為の攻撃だったと言われています。
国と国、民族、宗教。人間同士の憎しみ、対立の火種は今も尽きません。

そして今日。
大震災から3年目。多くの慰霊の行事、復興への新たな望みが終日報道されると共に、再現される画像からは
自然の恐ろしさ、復興の厳しさを改めて思い知る一日でした。
そこに暮らす人々の悲しみも喜びも苦しみも強さも、心に深く届きました。
恵みの多い自然ですら、人々の暮らしを根こそぎ奪ってしまうと言う事を改めて思い起こす為にも、祈念の日は、これからもずっと大切だと思います。

あの大空襲の夜、炎の壁に行く先々を阻まれ、死を覚悟した私の年上の友は、死体の浮く隅田川に引きずり込まれて、やっと生き延びたそうです。翌日、家族を探すために渡った死体で埋め尽くされた言問橋。
死体を乗り越える感覚、おびただしく散乱した眼鏡を踏みしだく靴底の感触を今も忘れないと話してくれました。
私にとって心から、戦争は怖い!愚かだと思い知らせてくれた忘れられない話でした。

ブログの友、福島のミシュランさんは「忘れそうになるけど、うちの庭には除染された汚染土が20箱。埋まったまま。未だに何処へ持って行くか決まっていない」「福島原子力発電所の事故は終息すら先が見えない。家に帰れない人が26万7千人居る現実も忘れて欲しく無い」と、今日のブログに綴っています。

忘れませんよ! 
友が、あなたが語ってくれたこと、この目で見つめ、聞いた事、知ったこと。
消してしまいたい辛い過去があっても、今日と言う日があり、それは見知らぬ明日にと続きます。
勇気と覚悟が生まれませんか?
















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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
Taoさん、
東京大空襲、、、
思い出させてくださり、ありがとうございます、、、
きぬえ
2014/03/13 10:03
きぬえさん、先日も生活クラブで長時間持続するローソクや
簡易トイレセットなど買い足しました。
土曜日は、ご近所さんと避難路を歩いてみます。
ゴールは近くのカフェ、初顔合わせも兼ねて、楽しみです。
Tao
2014/03/13 12:44
先日「戦争を語る」会で、ひと言を求められました。
お年寄りから戦争の話を聞くことはあるのですが、お話するには断片的過ぎて・・
人に伝えるには、それなりの注意力を持って聴かなければと思ったところでした。
(自分が経験したのでなければ)
Taoさんのお友達はもう亡くなられたそうですね。
でも、Taoさんがお友達の経験を伝えていらっしゃいますね。
MONA
2014/03/15 23:32
おはようございます。
東京大空襲もこの時期でしたか! 
東日本大震災も、はや三年、もう三年! 福島はまだまだ現在進行形ですね。
3年目を節目に、支援も含めた自分の出来ることを改めて考えています。
本読みと山歩き
2014/03/16 10:05
MONAさん、
あなたの記事のお蔭で私も、いろいろ考えましたよ。
地方都市にいたせいもあり、終戦時は5歳になったばかり
だった私です。
”語る”には乏しい記憶しかないと思っていましたが
それも貴重な体験なのだと再認識しました。
40年も前に聞いたお話が、こうして鮮明に残っていたの
ですもの。伝えなければ何も残りませんよね。
私なりに伝えること考えますね、ありがとう。

Tao
2014/03/16 19:46
本読みと山歩きさん
”「会社命」で震災翌日から、食糧支援と被災状況の把握を
目的に、仲間10名とキャンピングカーで被災地に乗り込”
まれたのでしたね。
あの時の様子、これからも折に触れて記事にして下さいね。
待っています。
3月10日の東京大空襲と66年の時を経て、3月11日東北大地震
と大きな災いは奇しくも、この時期に起こったのですね。
春を待ちつつも、心が波立つ季節です。

Tao
2014/03/16 20:06
Taoさん。ご無沙汰してます。記事をリンクさせていただきありがとうございます。時々しか更新してないので、コメントを書いてくださったのに、今気がつきました。ごめんなさいね。そうなんです。3年経ちましたが、まだまだ福島の復興は遅れてます。
福島原発の近くの帰宅困難地区の町が中間貯蔵場所になるとの報道がされていますが、我々の住む福島市は60キロ離れていても市内の中での貯蔵施設場所が決まらず、結局各自の敷地内にこうして置かれたままなのです。土が遮断してくれてるとはいえ、箱が埋まったままの場所には何も植えられません。
除染などを進めても肝心の原発のゴミを持って行く最終場所が無いのが現実なんですね。まさに日本のミニ版です。
みしゅらん
2014/03/19 12:02
みしゅらんさん
生き生きと暮らしたいらっしゃるご様子を拝見し、いつも
嬉しく感じています。
でも、やはり一番気に掛かっている”福島の今”の様子、
離れている者には判らない問題点をこうして伝えて頂くと
復興の厳しい現状を知り、放射性物質の恐ろしさを
身に染みて感じることが出来、有難く思います。
原発のゴミの現実から目をそむけてはいけませんね。
こちらこそ、ご無沙汰でごめんなさい。
これからも、楽しく拝見させて頂きますね。
Tao
2014/03/19 19:44

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